たまの休みに旅行に行って、温泉に入り、宿泊するっていいですよね。ところで、温泉旅行に行くなら、泊まる場所は旅館かホテルかペンションか、どこがいいですか?どこを選ばれますか?私は温泉目的なら旅館に泊まることが多いです。とくに細かい理由はないのですが、なんとなく旅館の方が、温泉と日本ぽい雰囲気がよく味わえるかなと思っています。でも基本的には入りたい温泉重視なので、それがあるところならホテルでもペンションでも構いませんけどね。

今度、観光で東京に行きたいと思っています。なので今、東京の温泉旅館を探している最中です。いくつか候補があって、どこにするか悩んでいます。一つは「蔵造りの宿 かわ村」というところ。なんたって東京唯一の温泉郷「岩蔵温泉」にある老舗旅館ですからね。期待せざるを得ないです。隠れ家的で和風の外観の写真を見るだけでワクワクします。もう一つの候補は「旅館 儘多屋」というところ。東京の奥座敷という、高級そうなフレーズにそそられます。実際は一般的な宿泊料金です。明治に創業、日本武尊が湯浴みに来たという言い伝えがあって、こちらの旅館はその伝統を大切に守られているそうです。古き時代に思いを馳せながら温泉に浸かり、ゆっくりするのもいいですね。

とまぁ、この二つの温泉旅館で迷っています。日を変えてまた行けばいいんですけど、そう簡単に都合もつけられませんし、どっちに先に行こうか決めかねています。最終的にはあみだくじにでも頼ろうかと思います。

前の話はおいといて、今回は私が好きな小説家の一節を紹介したいと思います。

「温泉と旅館は切って離せない関係にある。温泉といえば旅館、旅館といえば温泉、とまあ、普通はなりますよね。旅行地に大きなホテルがあって、そこの浴場は温泉を使ってますといわれても、それは温泉じゃなくてやっぱり大浴場にしか見れない。温泉の厳密な定義でいくとそれも温泉なんだろうけれども、それはみんなの持つ温泉のイメージとは異なる。温泉は、風情があって、ちょっと物悲しくて、という、日本のわびさびを兼ね備えたものでないといけない。そういうことを考えていると、やっぱり温泉と旅館はセットとなってしまうんだ。ヨーロッパのある国では温泉が結構主流だが、それは日本人から見ると「spa」であって、決して温泉ではないのである。それは向こうの人達が裸で風呂に入らない、ということに起因しているのかもしれない。裸で風呂に入る、それはひと目に付く可能性がある、というのはすごく不思議な感覚だろう。どんなに金を持っている奴でも、金を持っていない奴でも、温泉に入るときは裸にならなければならない。なんというシステムであろう。すべてを平等に扱うというこのルールは、東洋思想から着ているのではないかと私は考える。全ては一つであり、一つがすべて。そして、それを体現するのが温泉というシステムなのである。画期的だ。日本人が好きなのも無理はなく、外国人に理解出来ないのもわかってしまう。旅館のない温泉、温泉のない旅館。いや温泉のない旅館はもはや旅館ではないのではないだろうか。どんどん頭がこんがらがってきた。難しく考え過ぎなのかなあ。もっとシンプルに行こう。温泉には、旅館が欠かせない。そして、私はそんな素敵な温泉というものを、そしてその温泉というものを生み出した日本を愛する。」

初めまして!旅館大輔です。このブログでは旅館にまつわる話を書いていこうと思っています。といっても人並み程度にしか旅行はしてませんのでおそらく思い出を語るだけの文章が多くなってしまう可能性が高いのですがご了承ください。しかし心配は要りません。僕は生まれてから変な?というか人とは違った体験をすることが多いのでそういう体験を書いていけば十分おもしろい文章をかけるはず、と自分に言い聞かせます。さて、本編の始まりです。
旅館というのはピンからキリまで多種多様ですよね。ボロボロの旅館からピカピカのもはや旅館とは呼べないんじゃないかというようなところまで、津々浦々いろんな旅館があります。その点ホテルというものはある程度形式が決まっている所があるのでそこまで変なホテルというものはないのではないかと思っています。村上春樹の羊をめぐる冒険に出てくるいるかホテルのようなホテルは実際存在しないと思いますし。
さて、今回は不気味な雰囲気のした旅館をひとつ紹介したいと思います。営業妨害で訴えられてはこまるので旅館名は伏せさせていただきます。あの時感じた感覚をうまく文章に出来ればいいのですが。
その旅館は山奥にあるわけではなく、普通の温泉街にありました。東日本の日本海側よりのところにあります。その旅館へは家族の旅行で行きました。僕が15歳くらいの時だっと思います。その旅館へ行ったのはたしか夏の終わり頃、夏休みが終わる直前だったと思います。